制作工程 ④

制作工程 ①」、「制作工程 ②」、「制作工程 ③」、から続きます。

「紙貼り」が終わると、いよいよ「胡粉塗り」に入ります。

「胡粉」とは「牡蠣の貝殻の内側の白い部分を砕いて粉末にしたもの」です。
「胡粉」はニカワや水などと配合し、こなし、液状にし、何度も塗り重ね、
さらに磨くことによって、深みのある光沢が出る、大事な素材です。

胡粉作りに使用する道具

この「胡粉作り」は伊東家では「秘中の秘」。
その配合は親から子にのみ受け継がれ、書き留めることも許されません。
季節、またその年の気候によって、微妙に配合を工夫し、
今日まで続いてきました。

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制作工程 ③

制作工程 ①」、「制作工程 ②」、から続きます。

上彫りができた人形は、このあと「胡粉塗り」に入ります。
しかしその前に、地味ですが、欠かすことのできない工程があります。
それが「紙貼り」です。

何か書いてあるのが見えますか?

貼っているのはむこうが透けて見えるほど薄く、
少し揉むだけで毛羽立つようなやわらかい紙。
桐と胡粉をなじませ、つなぐ、大事な役割をはたします。

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制作工程 ②

制作工程 ①」 から続きます。

粗彫り後、半分に割り、中をくりぬき、3か月ほど乾燥させた木地は
もう一度貼り合わせられ、いよいよ上彫りに入っていきます。

上彫り途中の人形

ここからまだまだ細かく彫っていきます。
このあと塗り重ねていく胡粉の厚みを慎重に考慮しながらの作業です。

顔のアップ

目・鼻・口の位置はこの段階で決定され、
これ以降の工程で変更することはできません。
上彫りは作品の仕上がりを決定づける非常に重要な工程。

作品の完成まで、登山でいうと「3合目」ほどの地点です。

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制作工程 ①

御所人形の制作法」にも書いていますが、
「木彫りであること」は初代庄五郎以来、
伊東家の御所人形制作において最も重要なことです。

素材である桐の木

素材である桐の木。
伐採後、20年から30年ほど天日にあて、乾燥させます。
真ん中の髄の部分は使えないので、四分の一に割って保管しています。
風雨に耐えて残った強い部分のみを使用します。

木彫に使う道具

木彫に使う道具です。電動のものは一切使いません。
桐の木は柔らかいので、手で彫らないと歪んだり、割れたりしてしまうからです。

その性質から彫刻家は「桐」という木を素材として用いることはほぼありませんが、
伊東家ではこのあとの工程で塗り重ねていく胡粉との相性を考慮し、
江戸時代より、代々が桐を素材として採用しています。

粗彫り中の人形

粗彫り途中の人形。
これは衣装を付ける予定の人形なので、手は別に彫っています。
完成後にひびが入ることがないよう、
このあといったん半分に割り、中をくりぬき、3か月ほど乾燥させます。

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月鉾稚児人形「於菟麿」

今回も祇園祭の話題です。
四条新町にある月鉾はその装飾の豪華さから「動く美術館」と言われ、
また何といっても鉾頭の月の形から女性に抜群の人気を誇っています。

祇園祭月鉾

実はその月鉾の稚児人形「於菟麿」(おとまろ)は九世久重の作です。
数ある山鉾の稚児人形の中でも最高の「美男子」と称される
「於菟麿」は九世久重によって明治45年(1912)に制作されました。

九世久重作 月鉾「於菟麿」

先日お目にかかった鉾町の方によると
この「於菟麿」もそろそろ修復の時期かということでした。
数えれば今年は九世久重制作の年からちょうど100年。
やはりなにか不思議な縁を感じます。

宵山の月鉾

山鉾巡行まであと十日となりました。
今年も巡行の無事を祈っています。

ちなみに九世久重は昭和天皇の御大典にあたり
香淳皇后の依頼を受け、昭和3年(1928)に九世久重作 「洋装市松人形」
このような珍しい洋装の市松人形を制作しています。

長刀鉾「和泉小次郎親衡」像2

昨日、お預りしていた
祇園祭長刀鉾守護神「和泉小次郎親衡」像をお納めしました。

シャイな和泉小次郎親衡

27年ぶりにやってきた「親衡」像は思ったより損傷が激しく、
表面の胡粉をすべて剥がしての大がかりな修復となりました。

きれいになった和泉小次郎親衡

次、うちに戻ってこられるのはいつのことかわかりませんが、
修復の技術は次の世代にも必ず伝承していきたいと思っています。

去っていく和泉小次郎親衡

繰り返しになりますが「親衡」像は

長刀鉾天王台

に飾られています。