第15回伝統フォーラム 「伝統 新時代」
(2011年12月28日 京都新聞掲載)
京都の伝統工芸を担う若手作家らが新しい時代にどう対応しようとしているのかを探る第15回伝統フォーラム「伝統 新時代」(主催・京都伝統建築技術協会、京都新聞社、協力・NPO法人京都伝統フォーラム)が11月24日、京都市中京区の京都新聞文化ホールで開かれた。
御所人形師の伊東建一氏、錦織作家の龍村周氏、截金(きりかね)作家の左座朋子氏の3氏が伝統の技をどう継承し、新時代の要請に応えていくのかについて話し合った。
コーディネーターは京都新聞総合研究所特別理事の吉澤健吉氏がつとめた。
パネリスト
御所人形師 伊東建一氏
錦織作家 龍村周氏
截金作家 左座朋子氏
コーディネーター
京都新聞総合研究所特別理事
吉澤健吉氏
-まず、みなさんのお仕事についてお聞かせください。
伊東 私の家は、江戸時代中期に薬草などを扱う薬種商を営んでいた桝屋庄五郎を祖としています。彼は手先が器用で、「草刈童子」という人形を作り看板代わりに店先に飾ったところ、たいそう評判を呼んだそうです。後にこれが時の後桜町天皇の目に留まり、「有職御人形司 伊東久重」の名を拝領し、宮廷御用の御所人形師となりました。以来、その名と技術は連綿と受け継がれ、私の父で12世となります。ありがたいことに現在も皇室とのお付き合いは続いていますし、京都迎賓館の主賓室にも、父の作品が飾られています。
私自身は昨年、銀座和光で初の個展を開き、ようやく御所人形師としての一歩を踏み出すことができました。
龍村 錦織とは、文字通り金に値するという帛(きぬ)ということから、豪華絢爛、多彩で精緻な最高峰の織物を総称し、私どもの専門用語では、伝統的先染紋織物といいます。本袋帯や緞帳などで見られた方も多いはずです。
当家が錦織を織り始めたのは明治27年、曽祖父の時代からです。現在は私の父親である光峯が後を継いでいます。
織物は、素材から数えると70工程ほどの作業を経て完成するわけですが、当家は、それぞれの工程に携わる職人さんを束ねるアートディレクター役で、最終的に作品を完成させる役割を担っています。
私自身は、書や篆刻、陶芸作品制作もしており、コラボレーションした新しい錦織の作品を世に問うべく、現在は、糸を紡ぐ工程も含め多岐にわたる仕事にチャレンジ中です。
左座 截金とは、金やプラチナの箔を細い糸状や三角形などに切りそろえ、にかわやふのりを使って仏像や工芸品に張り付けて装飾を施す技術です。日本へは仏教伝来とともに朝鮮半島から伝わったとされる截金ですが、近年、大英博物館所蔵の、紀元前300年ごろに活躍したアレキサンダー大王ゆかりとされるガラス椀の金文様が截金だということが判明しました。
私は、重要無形文化財・截金保持者だった故江里佐代子の長女として生まれ、大学では日本画を学びました。現在は結婚して福岡市に在住しております。育児と並行して截金にも挑戦、2011年の日本伝統工芸展で日本工芸会新人賞を頂きました。母の作品は京都迎賓館でも採用されていますが、ほんの少しだけ母の技術に寄り添えたかなと感じています。
父の姿見てこの世界へ 伊東氏
職人たちに囲まれ成長 龍村氏
失敗重ね完成に達成感 左座氏
-伝統の家に生まれ、家を継がなければならない重圧感はありましたか。
伊東 両親から家の仕事を継げと言われたことは一度もありませんでした。ただ、曽祖父の時代から人形の衣装を作り続け、現在94歳になる祖母や、周囲の方たちの期待は大きいものがあるなと、幼いころから感じていました。
父は、あえてリビングを仕事場にしていましたので、私がテレビを見ていると、横で作業をしている父の姿が嫌でも目に入ります。子ども心に私は、この仕事を継ぐものだと擦り込まれていたようです。聞いたことはありませんが、これがどうも父の作戦だったのでしょう。
龍村 私も伊東さんと同様、職人さんたちに囲まれて成長しましたので、誰に強制されるわけでもなく、何となく自然に錦織の世界に入ったのが正直な思いです。
ただ、時間に縛られストレスの多いサラリーマンは、私に向いていないなという思いは学生時代からありましたので、時間の使い方を自己管理できる現在の仕事に満足しています。
左座 母から後を継げと言われたことは一度もありません。私が学んだ日本画の技術を生かして、母の作品の彩色を手伝う程度でした。
母が忙しくなるにつれ、截金も少しずつ任せてもらう部分が多くなりました。時間はかかるし失敗も多く体験しましたが、完成した時の達成感が大きいため、ついつい病みつきになり現在に至っています。今では小学生の娘が、私が言ったわけでもないのに、夏休みの自由研究に截金を選ぶようになりました。
-伝統の技は親から子へどのように継承されるものですか。
伊東 ここがよくないというようなことを父は一切口にしませんでした。ただ、私が昼間に作業した作品をその辺に置いておくと、夜中に父が勝手に修正してまた置いておくということが毎日のようにありました。悪いところは、口で言ってくれればいいのにと思ったものですが、最初から、ここが違う、どこをどうしろと伝えると本人の勉強にならないというのが、父自身も先代から受け継いだ指導方針であったようです。
龍村 若いころからずっと父のアシスタント役をしていましたので、聞くより慣れろが父の指導方針でした。ポイントのところだけは、聞けば教えてくれます。
「温故知新」になぞらえた「翻古為新」(はんこいしん)という言葉が当家には伝わっています。「古きを翻して新しきを為す」という意味です。私が繭からの糸紡ぎや、昔ながらの高機を使って機織りにチャレンジしているのも、基本を踏まえた上で総合的な技術が身につくものだからと、父も認めてくれています。
工程数多く集中力必要 伊東氏
若者に魅力伝える義務 龍村氏
新たな素材に挑みたい 左座氏
-これまでの修行の中でとくにつらいと思ったことは。
伊東 まず素材である30年以上乾燥させた桐の木を、人形の形に彫ります。次にカキの貝殻をつぶした胡粉(ごふん)と、にかわなどを混ぜ合わせた液を塗っては乾かす作業を30回以上繰り返します。最後に顔を描いて仕上げるのですが、1体の御所人形が完成するまで1年半ほどかかります。
毎日精神集中を要する作業の連続で、日単位で満足できる仕事ではありません。もちろん、完成したときの喜びは大きく、なにより作品を見ていただいた方の笑顔を見ると工程中の苦労も報われます。
龍村 自分で選んだ仕事ですので、これといった苦労はありません。つらいのは、各工程、作業用の道具作りを担ってくれている職人さんの持つ技術が、だんだんと消えていることに大きな危機感を持っています。
何とか技術だけでも次世代に受け継ごうと、当家では正倉院御物などに残る昔の織物、古代裂(ぎれ)の復元事業を積極的に進めています。私が使っている機織り機も西陣で1軒だけ残る機大工さんに製造してもらいました。
左座 截金の文様は、使う金箔などが非常に細いものなので、下絵を描くと筆の線が残って美しく仕上がりません。毎回が一発勝負ということになります。まだまだ技術的に至らないことも多いと感じていますので、とても神経を使うところが苦しいところでしょうか。
自宅で作業をしていて、作業中に子どもたちが私にじゃれついたりすることもあります。いざという場面では静かにしていないといけないのだと理解してくれているようですし、逆に子どもたちの声のする環境の方が仕事がはかどっています。
-日本人の生活の洋風化が進む中、時代にどう対応していけばよいか、抱負を聞かせてください。
左座 伝統工芸品というと古いものだとの概念を多くの方が持っておられるようですが、制作された当時は最先端の技術を駆使していたはずです。私も截金を発展させてきた先人たちの思いを受け継ぎながら、仏師である父の彫った仏像や、また工芸作品としては新たな素材に挑戦し、自分にしかできない作品を目指して精進を続けたいと考えています。
龍村 ご年配の方は織物の知識を持っておられるのですが若い方に織物文化を伝えるのが私たちの責務だと考えています。
当家では定期的に工房を公開しています。若い人でもお求めやすい、錦織の小物類も展示即売していますので、ぜひ足を運んでいただけたらと思います。
伊東 私の家は初世以来、天皇家の東京奠都(てんと)、戦争など、何度も大きな存続の危機がありましたが、何とか現在まで続いています。代々が技法の継承に真摯に努めたのが幸いしたのでしょう。
木彫の御所人形は何百年も愛用していただける工芸品ですので、次代の後継者が修復するときに恥ずかしくないよう、代々伝わる技術はしっかり習得し、守り続けたいと肝に銘じています。
-京都の伝統工芸が厳しい状況にある中、しっかりした後継者が育っていることに心強さを感じました。